「つづら」な苗字や地名についてまとめたり考えたりしてみた

直前の記事(「つづ」は「10」か「19」か「20」なのか、苗字と地名から探ろうとしてみた)では「つづ」という言葉について、書いてみた。どうしても廿楽(つづら)という苗字が気になるので、今回は「つづら」という言葉について書いてみようと思う。

「つづら」とは蔓草のこと、葛(かずら)のことを指す言葉だ。特にツヅラフジ(葛藤)のことを指す。このツヅラフジという植物はとても丈夫で、笠や、籠の材料となった。後にこの「籠」のことを「つづら(葛籠)」というようになった。葛籠の材料が竹材や木材に変わっても籠は変わらず「つづら」と呼ばれ続けた。「舌切り雀」のつづらが有名だろうと思う。

さらにこの葛籠は、何回も何回も編まれるという事から(もしくはツヅラフジが折れ曲がっている事からともいう)、非常に折れ曲がった道を「九十九(つづら)折り」と呼ぶようになった。

「つづら」の言葉について分かっていることを吐き出したので、「つづら」という苗字や地名について話していこうと思う。由来は「つづらが生えていた場所」「九十九折り状の地形」から来たものが多いのではと思う。

「つづら」のつく苗字で一番多いのが前の記事で紹介した「廿楽(つづら)」姓だ。埼玉県桶川市に非常に集中している苗字で、全国の廿楽さんの内、4分の1ほどが桶川市にある。同地には十九浦(つづうら)や甘楽(つづら)という苗字も存在するが、元は同族だったのではと思う。蓮田市の廿浦(つづうら)姓も同族かもしれない。
Wikipediaには「廿楽氏」の項目があって色々書いてあるが、出元の分からない話で信憑性が薄い気がする。私も地方の姓氏・氏族の伝承を詳しく把握しているわけじゃあないが…。出典・参考文献を知っている人がいたらぜひぜひ教えてほしい。

また、徳島県美馬地方には葛籠・葛篭(つづら)姓がある。この付近には美馬市穴吹町古宮葛籠、美馬市穴吹町口山葛籠、美馬郡つるぎ町一宇葛籠(これらの地名は「つづろ」と読む)、三好郡東みよし町東山葛籠(つづら)の地名があり、関係あるのかなと思う。この付近は葛籠に深い縁がありそうだ。

「黒葛」と書いて「つづら」と読ませる苗字が多いのは鹿児島県から宮崎県南部にかけての地域だ。

「黒葛」と書いて「つづら」と読ませる苗字で一番多いのが黒葛原(つづらはら)だ。薩摩国武家、伊集院氏の分家に黒葛原氏があった。この黒葛原氏は現在の日置市域内の薩摩国日置郡伊集院黒葛原から発祥したが、現在日置市には黒葛原という地名(小字とかであるかも?)は見られないが、霧島市横川町中ノの字に黒葛原がある。現在も黒葛原姓は宮崎県南部から鹿児島県にかけて多い。

「黒葛」と書いて「つづら」と読む苗字は、他にも黒葛(つづら)、黒葛野(つづらの)、黒葛川(つづらかわ)、黒葛平(つづらひら)などがある。これらは全て鹿児島県で多かったり、存在していたりする。

埼玉県を中心として関東地方に多いのが「つづらぬき」姓だ。武蔵国武家に葛貫(つづらぬき:「くずぬき」ともされる)氏があった。入間郡葛貫(現在の埼玉県入間郡毛呂山町葛貫)の地名から発祥。現在、葛貫姓は「くずぬき」と読むほうが多く、「つづらぬき」さんは少数派だが、「葛籠貫」や「葛籠抜」と書く苗字もあり、これらは「つづらぬき」と読ませている。
おそらく、「葛貫」では「くずぬき」と読まれてしまうので「籠」の字を挿入することで「葛籠貫で『つづらぬき』だよっ」と強調したのではないかと思う。

ほかにも「つづら」と読む苗字は「津々良」「津々楽」がある。「津々良」は日本各地に散見される苗字で、大分県のものは大分県由布市湯布院町川西の上津々良・下津々良の地名と関係あるのではないかと思うがよくわからない。「津々楽」は全国数軒の稀少姓だ。

ところで、完全に余談になるが、ツヅラフジは漢方で「防已」といい、鎮痛や利尿に利用されるようだ。昨日紹介した鳥取県の防己尾城(つづらおじょう)はここから来たものだろう。また、和歌山県西牟婁郡すさみ町防己(つづら)の地名もあった。「已」が「己」になっているのは「已」と「己」を混同したものと思う。