荒木良造・著「姓名の研究」を読んだので感想を書いてみた~FuniSaya Advent Calendar 2013 10日目

FuniSaya Advent Calendar 2013 10日目だよっ。
昨日はryotarogotoさんの「今のあなたの気分は??気分に応じて名言を表示」でした。

ここで、神聖なるももんがの舞を一つ。

ももんももんがももんがもん!
ももんがももんもももんがもん!!

というわけでкёку(きょく)です。知っている人はおはこんばんちは。知らない人は覚えなくてもいいよ。

さて、栄光の「FuniSaya Advent Calendar 2013」に参加と相成ったものの、当方は何をすればいいのかと考えました。しかし、私には何の芸もありません。完全無欠の芸なしきょくにゃんなのであります。

そこで、割箸鉄砲でも作ってみようかと考えましたが、当方、キングオブブキヨー系きょくにゃんでありますから、全く出来ませんでした。カッターで人指し指を切って流血しました。痛いです。

ところで、「割箸鉄砲」という言葉は、「割」、「箸」、「鉄砲」の3つの言葉で構成されております。

「割」の字のつく苗字で一番世帯数の多いものといえば「割田(わりた)」ですね。割田姓は群馬県吾妻郡中之条町付近に多い苗字で、この付近では珍しくありません。また、長野県中野市でも比較的大目に見られます。

戦国時代、現在の中之条町には真田氏の家臣の割田氏があり、代々忍者として活躍していました。

「箸」の字のつく苗字で一番世帯数が多いのは「提箸(さげはし)」です。提箸姓は栃木県佐野市付近に多い苗字で、やはり当地ではそれほど珍しい苗字ではありません。

この提箸姓には、「天皇後水尾天皇)に箸を献上したことで提箸姓を賜った」という伝承があるようですが、宇都宮市に下ケ橋町(さげはしちょう:旧・河内郡河内町下ケ橋)という地名があり、こちらが由来かもしれません。

そして「鉄砲」のつく苗字なんて無いと思っているあなた!

それがじつはあるんですねえ。茨城県に「鉄砲塚(てっぽうづか)」という苗字があります。「鉄炮塚」とも書きます(というかこちらの表記の方が多いですが)。

由来は地名かと思われますがイマイチわかりません。やはり、「鉄砲を埋めた塚」なのでしょうか。鉄炮塚葉子(てっぽうづか・ようこ)という声優さんもおられます。

さて、閑話休題。今回の本題に入りたいと思います。といってもこれを本題と取るかはあなた次第ですが。

荒木良造・著「姓名の研究」の感想と考察

荒木良造・著「姓名の研究」(復刻版)を入手した。この本は昭和4年1月に京都市の麻田文明堂から出版された書籍で、同志社大学教授の荒木良造が著したものだ。今回入手したのは昭和57年に第一書房から復刻(リプリント)された復刻版であるが、原版をそのままリプリントしたもののようなので、内容に差異はないと思われる(原版は見たことがないのであしからず)。

内容としては、序文・例言(凡例)を除くと3部に分かれる。

姓名の研究

第1部は書題にもなっている「姓名の研究」。日本のウジカバネ、苗字、避諱、また、明治時代からの姓(戸籍制度)や、姓名判断など人名について総論したものだ。だが、この内「ウジカバネ」や「苗字」に関する解説はどうにも既視感がある。その既視感の出元はどこかといえば、太田亮・著「姓氏家系辞書」(大正9年)の解説だ。特にカバネに関する解説はほとんど一緒だ。「姓氏家系辞書」は国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧できるので気になった人はそちらも参照して欲しい。

→「近代デジタルライブラリー:姓氏家系辞書

珍姓奇名集

第2部はこの本のキモとも言えるであろう「奇姓珍名集」。全国津々浦々の変わった苗字、変わった名前をテーマ別に収集したものだ。

テーマ別とは、例えば「文房具類」(P103)というテーマであれば、

(文房具類)

  • 墨 福太郎
  • 相墨 傳三郎
  • 古筆 了信
  • 筆本 四郎吉
  • 筆内 音吉
  • 紙 賢
  • 白紙 喜一
  • ……

「姓名の研究」P103より引用(人名の出典は省略)
引用部分の旧字体異体字は全て常用漢字化している

と、文房具類の文字が入った苗字や名前の人物がフルネームで掲載されており(一部、苗字不詳、名前不詳のものもある)、更に住所や名簿類、掲載されていた雑誌・新聞名が出典として付されている。

この「奇姓珍名集」はP42からP405まで及び、本書のメインコンテンツといっても過言でもない。昭和4年(1929年)にこれほどの人名を収集したというのは驚嘆せざるを得ず、相当な労苦があったと忍ばれる。

だが、気になる点が何点かある。「一字姓」(P51)の項目の中に「怡(イ) 土束」という人名が掲載されているが、これは「怡土(イト) 束」の区切り間違いなのではないだろうか、この「怡土束」氏は出典によれば「福岡県浮羽郡船越村」に居住ということだ。船越村は現在の福岡県久留米市うきは市の一部である。現在の電話帳を調べてみると、この付近には「怡」という苗字はないが、「怡土」という苗字がある。現在の福岡県糸島市の半分は、筑前国怡土郡と呼ばれており、これにちなむ苗字と思われる。

もっとも、これ以外に姓名の区切り間違いと思われるものは(ざっと調べた程度だが)見つからないから、荒木良造氏の調査力に脱帽する限りである。荒木は序文で

(前略)而してその呼称が、果して実在するや否やは、この研究の最も大切な分水点で、いはゞ研究其者の死命を制することになる。
(中略)
是れ余の最も考慮した点で「呼称の確実性は場所の記載の他にない」と信じ、(後略)

「姓名の研究」P5より引用

と述べており、「存在しない姓名を排除すること」、「そのために出典を明記すること」を重要としている。これは現在の苗字・人名研究においても非常に重要な事だと思う。

しかし、気になるのは、「古糞 為糞」(P325)や「八月一日宮(ホズノミヤ) 三千年(ミチトセ)」(P65)、「高倉 田子の浦に打出でゝ見れば白妙」(P48)などのいわゆる「昭和の珍名」としてよく紹介される人名も掲載されていることだ。私としては、これらの人名が存在していたとは思われない。とはいっても、「何が実在していないか」など分からない。日常生活に支障が出るほど珍奇な名前は許可を得れば変更することができるし、絶家してこれらの苗字が消滅したという可能性も勿論否定出来ない。実在の証明は簡単だが、非実在を証明するのは「悪魔の証明」の言葉通り至難の業なのだ。

よく見ると、「古糞 為糞」は「宮崎県東臼杵郡南郷村(大朝大一四七)」(大阪朝日新聞 大正14年7月か)、「八月一日宮 三千年」は「神戸市々会議員(東朝大一三)」(東京朝日新聞 大正13年か)、「高倉 田子の浦に打出でゝ見れば白妙」は「宮崎県の人、明治四十二年に宮崎県で徴兵検査の折発見した。(毎夕第一回)」(毎夕新聞か)などと、これらは雑誌や新聞を出典としている。

「高倉 田子の浦(略)」に似た人名にP47にも「高倉 打出見れば白妙」、「高倉 富士の根高」の兄妹が挙げられている。出典は「東朝(大一三、七、二四)」。東京朝日新聞 大正13年7月24日だろう。ここでまた疑問なのだろうが、「高倉」という同じ苗字の人が偶然にも山部赤人の「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ」の歌を持ちだして、子に名付けるということがあるだろうか。可能性はゼロではないだろうが、限りなく怪しい話だ。

医師であり、人名研究家の佐久間英は著書・「珍姓奇名」(ハヤカワ文庫)で「田子の浦伝説」の種明かしをしている。

佐久間英は「田子の浦伝説」を追究する内、話の出元が大分県のとある町の兄弟にあることを突き止めた(ちなみに、高倉姓は大分県日田市付近に非常に集中している苗字である)

姉と妹の二人で和歌の上の句と下の句を分けているのではないのです。女五人と男三人 合計八人のきょうだい。その八人の名前が全部、「田子のうらに……」の歌から取ってある。八人のきょうだいの名をつなげれば〽田子のうらに……という歌の骨子にはなるわけです。

「珍姓奇名」P121より引用

つまり、高倉田子、高倉うら……という兄弟の名が、歌の上の句と下の句を分けた二人兄弟と誤伝されて、この「田子の浦伝説」が出来上がったという。

このように、人名には誤伝がつきまとう。「古糞 為糞」などもこの一種かもしれない。この辺りを突っ込んで調査すればこのように悩むことなどなかったと考えると、「人名の実在性」に重きをおいていた荒木の調査ゆえに惜しまれる。

難訓姓氏辞典

第3部は読みの難しい姓を集め、読みを付した「難訓姓氏辞典」である。

が、読んだ途端ものすごい既視感に襲われた。こちらの既視感は大野史朗、藤田豊・編「難読姓氏辞典」(東京堂出版:昭和52年)によるものだ。

「難読姓氏辞典」といえば、伝説の多画数漢字「たいと」に「だいと」、「おとど」という更に出典不明の読みを付した姓氏辞典だ。


たいと、だいと、おとど

この「難姓氏辞典」は明らかに「難姓氏辞典」を種本(の一つ)にしていると思われる。「難訓」に掲載されている苗字は「難読」にも必ず掲載されているからだ。

たとえば、「難訓」では「一」の字から始まる苗字は

  • 一口 イモアラヒ
  • 一方 ヒチカタ
  • 一石 イツコク
  • 一戸 イチノヘ
  • 一室 イチムロ
  • 一宮 イク
  • 一宮善 イグゼ
  • 一萬 イチマタ
  • 一噌 イツソウ
  • 一二三 ヒホミ、ウタタネ、イジミ
  • 一寸木 マスキ
  • 一日宮 ミノリ
  • 一方井 イツカタヰ
  • 一宮暴(暴を上下反転した漢字。誤植か) イクゼ、イグゼ
  • 一風迫 イチノハザマ、イチノハギマ
  • 一富士 タナベ
  • 一萬田 イチマダ
  • 一尺二寸 カマノエ
  • 一寸六分 カマヅカ
  • 一尺八寸 カマツカ、カマエ
  • 一番ケ瀬 イチバガセ

「姓名の研究」P409より

いろいろ突っ込みたいところもあるが、今回は「難読姓氏辞典」との同異を知りたいので置いておく。

一方、「難読姓氏辞典」では「一」から始まる苗字は……、面倒なので挙げないが、「難訓」で挙げられた「一」の字から始まる全ての苗字が掲載されている。

特に、「一方」は「難訓」で「一方 ヒチカタ」と掲載されていたが、「難読」では「一方 いちかた・ひじかた・ひちかた」と掲載されている。特徴的な「ひちかた」という読みが両方で見られる。「難読姓氏辞典」が「難訓姓氏辞典」を出典にしていることは明らかだ。

姓氏辞典はこのように他の姓氏辞典を出典にして苗字の掲載数を増やしてきた。しかし、掲載されている苗字の実在確認は全くされないまま掲載数だけが増えていったため、幽霊苗字、幽霊人名という問題が起きている。

んで、結局

この「姓名の研究」という本は批判すべき所も多いが、昭和初期の人名学がどのようなものだったかがよく分かる貴重な資料だ。荒木良造教授のご苦労には敬意を払いたい。

と、ずらずらおもってきたことを書いてきましたが、ぼくもいろいろ気張ってやらにゃいけんなとおもいましたまる

ああああああああおいしいさばのしおやきたべたいよう

あ、あと市町村の苗字占有率の記事は鋭意やってますので今しばらくお待ち下さい…

てなわけで! 明日はanoworlさんだよっ